二人のクリスチャン女性の運命の出会い
この地に白才むらが誕生するに至った原点には、元々この地で生まれ育った須藤勲子さんというひとりの女性の願いがありました。新島譲ゆかりの地である安中に生まれ育った勲子さんは、キリストの愛に触れ、その生涯をキリストに捧げたクリスチャンです。
看護の世界に進んだ勲子さんは、やがて千葉県大多喜市にある三育学院大学で看護学科長を務め、そこで出会った同じ志を持った後輩、江本久枝さんと意気投合します。勲子さんの後に学科長を務めた久枝さんの定年退職後、勲子さんは自分の生まれ育った家に久枝さんを呼び、家族になるために養子縁組をします。そして二人は、同じようにクリスチャンとして生きた女性達に寂しい老後を送らせたくないとの想いから、彼女たちが集い輝ける終の棲家を用意したいと考えました。
創業までの紆余曲折
二人は早速動き出します。彼らの語る夢に、多くのクリスチャンの仲間たちが共鳴し、集まり、まずは勲子さんの自宅に教会集会所が開設されました。
しかし、ここで壁にぶつかります。この場所に施設をつくることに対し、国からの許認可が下りなかったのです。どうにもならず、二人は半ばあきらめかけていたところ、教会の文書伝道をするグループが支援を申し出て、代わって専門家や国の担当者と折衝し、その結果、NPO法人として認可を取ることに成功します。こうして、二人の夢は、結実することとなりました。
特定非営利活動法人の設立と、共同住宅の建設
勲子さんは、自らの土地と4千万円近くの財産を投げ打って、白才むらの誕生を強力に支援しました。しかし、彼女はすでに高齢であったため、初代の理事長の役割は、勲子さんの志を汲む久枝さんが担うことになりました。
しかし、共同住宅の建設には億を超える資金が必要で、勲子さんからの寄付だけでは賄えません。そこで、銀行に当たり、その中で一行から融資の許可がおり、無事建設資金が確保できました。建築業界出身の仲間が加わり、優秀な一級建築士によるデザインが完成し、地元の腕利き工務店による工事が始まり、こうしてみるみる内に「終の棲家」という勲子さんと久枝さんのビジョンは形になったのです。
希望と、産みの苦しみと。
このように多くの仲間達に支えられて輝かしいスタートを切った白才むら共同住宅でしたが、その前途は多難でした。
まず、入居者がなかなか集まらない。当時、月額の家賃や食費は恐ろしく安かったのですが、多額の寄付金のお願いがネックになっていました。その結果、なんとそのあと十年近くもの間、稼働率は伸び悩み、部屋が埋まることはありませんでした。
また、当時の理事会メンバーは事業経営をするのに十分な知識も経験もなく、会計実務についても右も左もわからないなか手探りで行っていたことから、利益など夢のまた夢、毎年の巨額な赤字を寄付でなんとかつないでやりくりする状態。
しかし、そんな中でも2020年までには介護保険事業であるデイサービスと訪問介護事業が伸びてきたのですが、そのタイミングでコロナ禍が訪れ、久枝理事長が難病に倒れる、という災難に見舞われます。
こうして初代理事長が退任し、二代目の鈴木理事長も短くして体調不良のため辞任し、三代目の安居益也理事長が理事会によって選ばれますが、経営難は悪化します。当時、施設長を務めていた渡部氏は心身ともに耗弱し、従弟である現理事長であるDavid氏に助けを求めました。
白才むら再建
自分の会社を経営していた現理事長は、経営面では素人同然の実父が当時理事長を務めていたこともあり、危機を即座に察知して経営の全責任を引き受けました。
職務現場を熟知するスタッフたちではなく、あくまで全国の教会関係者で固められた当時の理事会は、現場の危機感や問題意識を共有せず、何一つ具体的な問題解決ができない状況にありました。現場の課題が即座に経営判断に結びつかず、また肝心の入居者様の利益が第一とされず、意思を持って決断できない理事会が問題解決においても機能していなかったことから、理事会メンバーを入居者様と現場スタッフでの構成に一新しました。
そうして、設立以来、変わることなく続いてきた入居プランを変更した結果、次々と新規入居が決まり、一年後には初の満室になりました。また、施設共同住宅、ヘルパーステーション、レストランを独立採算式に分け、収支バランスをリアルタイムで検証できるよう「見える化」し、収入と費用のバランスを徹底的に管理した結果、月平均200万円以上あった赤字も無事に解消、黒字に転換しました。
これからのこと
白才むらは、その原点において、キリスト教の博愛精神を土台として建てられました。私たちはこの創業者たちの想いを大切にしたいと心から想っています。ただ、一方で、公益性の高い活動を行うためにあるNPOとは宗教や政治活動とは本来無縁の存在であり、その運営においては宗教法人とは独立した存在であるべきです。この線引きが曖昧になると、意思決定が困難になり、経営難に陥るリスクは高まります。土台にある博愛精神は堅持しつつも、この点は修正され、ニュートラルな運営がなされる必要があります。
勲子さんや久枝さんが属していたSDAというプロテスタントの宗派は健康教育に力を入れているため、菜食主義者が多く、また一般的にも健康上の理由や体質その他の理由等から菜食やヴィーガン食を好まれる方は一定数いらっしゃいます。しかし、世の中の高齢者施設にはそういったニッチなニーズへの対応がなされておらず、菜食という慣れ親しんだ食生活を継続できる施設はほぼ存在しません。白才むらの「玄米菜食」は、そのようないわゆる食のマイノリティに属する方々にとって、貴重な選択肢となり得ると考えています。
また、白才むら共同住宅のもう一つの特徴として、SDA安中キリスト教会が施設内にテナントとして入っていることです。こちらの教会は土曜日に安息日礼拝を行っており、昼にはパトラック形式の昼食会もあります。外部からの来訪者も多く、にわかに活気づきます。もちろん参加は任意ですが、社交の場にいくことが好きな方や、聖書の学びがしてみたい方にとっては、共同住宅施設内において教会プログラムに参加できる機会があることは他では代えがたい利点となるでしょう。
勲子さん、久枝さんの夢見た「終の棲家」は、お二人が亡くなられた後も、こうして白才むら共同住宅は原点にある祈りにも似た想いを受け継ぎ、「終の棲家」としてのたゆまぬ歩みを続けています。